暦のこと (5) 改暦について
日本が旧暦(天保暦)のままでいれば、世界と調整していくのが大変です。明治の開国にあわせて、慌ただしく改暦になったのはこのためです。また、旧暦(天保暦)のままだと明治6年には閏月(閏6月)がありました。「暦のはなし(光陽出版社)」によると明治4年(1871年)に、役人の給料が月給制に変更されました。本来なら13ヶ月分の給料を払わなければなりません。閏月は明治元年と明治3年にもありましたが、その時はまだ年俸制でした。新政府の財政は逼迫しており、改暦により役人の給料の1ヶ月分が節約されることは重要なことでした。おまけに旧暦(天保暦)の明治5年12月は2日間しかないので給料は払われなかったそうで、さらに1ヶ月分が節約された事になります。改暦の布告は明治5年(1872年)11月9日(旧暦)になって突然に発布されました。すでに10月からは翌年(明治6年)の暦の発売が始まっており、新しい暦が慌てて作り直されるなど、当時の社会は新・旧の暦が入り混じって大混乱となったようです。

旧暦(天保暦)には「12月31日」は存在しません。旧暦では「大の月」は30日まで、「小の月」は29日までと決まっていました。また「大の月」と「小の月」は固定ではありません。今だと異様に感じますが、2月も「29日」とか「30日」がありました。改暦がなければ明治5年の12月は「大の月」であり、大晦日は12月30日のはずでした。改暦にあたって明治5年(旧暦)の 12月3日から 12月30日という4週間分(28日分)が消失しました。だからと言って「新暦→旧暦」換算にあたって、この28日分を引き算すればいいかというと、そう単純ではありません。旧暦と新暦では 1ヶ月の長さ(日数)が異なるため、毎月少しずつずれていきます。また旧暦(太陰太陽暦)では 2~3年(約 2.7年)に1度「閏月」が挿入されるため、1年が13ヶ月になります。旧暦では通常の1年(平年)は 354日前後ですが、閏月を含む年(旧暦の閏年)では1年が 384日前後にもなります。

西暦のユリウス暦からグレゴリオ暦に変わる時、1582年10月5日~10月14日の10日間を削除したと同じように、日付の上で、(旧暦の)明治5年(1872年) 12月3日から 12月30日(4週間分)が削除されたようなものです。4週間なので、曜日は連続性があります。また、新暦で「大の月」と「小の月」の日数や順番が固定されました。旧暦の明治6年には「閏6月」があるはずでした。この「閏6月」は「大の月」であり、晦日は30日です。このように明治5年(1872年)12月(旧暦)の3日目から明治6年(新暦:グレゴリオ暦)に切り替わりました。旧暦(グレゴリオ暦の直前の太陰太陽暦)は天保暦です。本来は元号表記をすべきであり、旧暦を西暦のように4桁表示するのは正しくありません。しかしながら西暦には連続性があり、引き算するとその間の年数が直感的に理解できる利点があります。そのため特に気にせず西暦表記も用いる場合がありますが、注意が必要です。日本で用いられてきた太陰太陽暦には以下のものがあります(ウィキペディアによる)。(括弧の中)は新暦換算、ただし西暦表記は1582年10月04日までが ユリウス暦 で、1582年10月15日以降は グレゴリオ暦 です。

[1] 元嘉暦:略
[2] 儀鳳暦:略
[3] 大衍暦:略
[4] 五紀暦:略
[5] 宣明暦(長慶宣明暦):約823年
貞観4年 1月1日(862年2月3日)~貞享元年12月30日(1685年2月3日)
[6] 貞享暦:約70年間
貞享2年 1月1日(1685年2月4日)~宝暦4年12月30日(1755年2月10日)
[7] 宝暦暦(宝暦甲戌元暦):約43年間
宝暦5年 1月1日(1755年2月11日)~寛政9年12月30日(1798年2月15日)
[8] 寛政暦:約46年間
寛政10年 1月1日(1798年2月16日)~天保14年12月29日(1844年2月17日)
[9] 天保暦(天保壬寅元暦):約29年間
天保15年 1月1日(1844年2月18日)~明治5年12月2日(1872年12月31日)

(備考) 天保15年は12月2日に改元されて、弘化元年となります。
(備考) 冲方丁氏の小説「天地明察」は、貞享暦が作られるまでの物語です。これを原作とした映画が 2012年9月に封切られました。貞享暦を作った渋川春海の他に、和算の関孝和や囲碁の本因坊道策が登場します。水戸光圀も登場します。

センター長 | No.39 札幌西円山病院リハビリテーションセンター   2019/09/03(Tue) 20:39:48
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