エクセルで自在なグラフを描く裏技
エクセル(表計算アプリ)で自由度の高いグラフを描く裏技的方法を紹介します。少し面倒ですが、思った通りのグラフが描けます。エクセルでグラフを書く時、通常なら「棒グラフ」や「折れ線グラフ」や「円グラフ」が多用されるのではないかと思います。相関関係を示すなら「散布図」です。私が必要とするのは何かの変遷(例えば業績)を知りたい時なので、形式的には折れ線グラフです。しかしエクセルが提供する「折れ線グラフ」は使いません。使うのはもっぱら「散布図(直線)」です。この「散布図(直線)」はX座標とY座標で規定される平面上のデータ同士を線で結ぶものです。使うのはこれのみと言っても過言ではありません。

グラフの作り方に入る前にイラストを紹介します。「ドクタースランプ」に登場するスーパーロボット「則巻アラレ」です(図1)。このイラストは、ここまで出来るという事を示すために「散布図(直線)」で描いたものです。まずはこのデータの成り立ちを説明します。私はPC-8001からパソコンを使い始めました。ワンボード・マイコンの次に出てきた黎明期の代表的な機種(NEC)です。まだCP/MとかMS-DOSというOS(オペレーティング・システム)も無い時代です。N-BASICというコンピュータ入門用の言語がOSを兼ねていました。この機種ではキャラクター(文字)単位でしか表示できず、絵を描くにしても粗いものだけでした。その次に使ったのがPC-8801です。PC-9801が出る前です。ここでN88-BASICとなり、line関数で線画を描くことが出来るようになりました。このイラストは、その時にデータ作成のために方眼紙に描いたものです(図2)。エクセルで使えるようにY軸の座標を変換してデータを作り変えました。蛇足ながら、この頃は右手でテンキーの0~9、左手でa~fというブラインド・タッチで、雑誌に載っているインベーダー・ゲーム等のマシン語プログラムを入力していました。マシン語とは16進数の0~fからなる2桁表示の数字の羅列です。





元のイラストは30年以上も前のものです。これが手元に残っているのは「袋ファイル整理法」のおかげですが、これについては稿を改めて書きます。このイラストは「98本の折れ線」から出来ています。ここで言う折れ線とは「一筆書きで描ける線」のことであり、イラストは「一筆書き(折れ線)」の集合体ということです。(x,y)で指定される単純な座標データが98系列あります。例として左目と瞳のデータを示します。
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左目(x,y)
125,103
127,102
129,101
131,98
132,95
133,89
133,81
132,76
130,72
128,70
126,69
123,69
120,72
118,76
117,82
117,90
118,95
120,100
122,102
125,103
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左瞳(x,y)
126,93
127,92
128,88
128,83
127,80
126,78
124,78
123,80
122,84
122,88
123,91
124,93
126,93
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この稿は「散布図(直線)」を用いたグラフの描き方です。このグラフが威力を発揮するのは、何かの経時的な変化を追うときです。経時的な変化の典型例は「横軸(X軸)が日付」の時です。エクセルは西暦1900年1月1日をシリアル値の「1」として、連続した数値に置き換えます。横軸を日付にすると、1月や8月のような大の月は31日間、4月のような小の月は30日間、2月は28日(閏年なら29日)の間隔で示されます。縦軸(Y軸)のデータ量の変化が、時間の流れ(横軸)に応じて表示されるのです。Y軸の変化量が同じ場合であっても、その変化が短い期間で生じたものなのか、長い期間を要したものなのかが直観的に分かります。

例として、札幌西円山病院の回復期リハビリ病棟における実績指数の変化を取り上げます。x軸の座標は便宜的に各月の中央を指定しました。2月は14日。それ以外は15日です。2016年6月から2019年7月までのデータを示します。
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日付(x),実績指数(y)
2017/06/15 , 19.5
2017/07/15 , 17.5
2017/08/15 , 17.1
2017/09/15 , 15.5
2017/10/15 , 13.5
2017/11/15 , 11.9
2017/12/15 , 12.3
2018/01/15 , 13.0
2018/02/14 , 13.9
2018/03/15 , 14.7
2018/04/15 , 16.2
2018/05/15 , 18.8
2018/06/15 , 18.7
2018/07/15 , 21.1
2018/08/15 , 22.8
2018/09/15 , 25.0
2018/10/15 , 28.1
2018/11/15 , 28.5
2018/12/15 , 31.9
2019/01/15 , 33.4
2019/02/14 , 36.0
2019/03/15 , 36.2
2019/04/15 , 37.6
2019/05/15 , 39.9
2019/06/15 , 38.5
2019/07/15 , 39.0
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エクセル上では、この2列のデータをマウスでドラッグしてデータ範囲を指定し、「散布図(直線)」を指定します(図3)。この例では毎月の数値が存在しますが、仮に途中のデータが欠落している場合でも、横軸のスケールは変わりません。逆に、途中に複数のデータが有る場合でも、元の横軸のスケールが変わることはありません。横軸(x軸)は日付だからです。このデータは、最初に示したイラストで言うと「一筆書きで描ける線」の1本目であり「系列1」です。



これに日付が一定間隔でない架空のデータを加えます。
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日付(x),架空データ(y)
2017/06/25 , 30.0
2017/09/03 , 32.0
2017/10/05 , 19.0
2018/01/03 , 23.0
2018/10/20 , 22.0
2019/03/03 , 19.0
2019/03/31 , 24.0
2019/05/05 , 32.0
2019/06/07 , 29.0
2019/07/15 , 34.0
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最初に出来た折れ線にカーソルを当ててマウスを「右クリック」します。するとメニューが出てくるので「データの選択」を選びます(図4)。そうすると「データソースの選択」なるボックスが出てきます(図5)。そこで「系列の追加」をクリックすると、「系列の編集」ボックスが出ます(図6)。ここで新たなデータの範囲をx座標とy座標について指定します。これが「一筆書き」の2本目に相当します(系列2)。折れ線の色や太さは後で変更できます。







データが増えていった場合、追加されたデータをグラフに反映させる必要があります。同じように線(どれでも良い)にカーソルを当てて「右クリック」して「データソースの選択」なるボックスを出します(図7)。今度は、変更したい系列を指定して「編集」をクリックします。図8では例として「系列2」のデータを追加します。そこで選択した系列のx値(増えた日付の行番号)と、y値(増えた値の行番号)を変更します(図8)。あらかじめ、グラフのデザインについて線の太さ等を決めておくと、そのデザインのままで折れ線が伸びていきます。





この方法の見た目の欠点は、x軸のメモリ表示が「一定間隔の日付」になってしまうために「月の始まり」と合わない事です。これは邪魔ですが、どうしようもありません。表示を消える設定にするか、背景の色(デフォルトでは白)と同じ色の四角形を作って覆います(図9)。私はグラフエリアに自動的に描かれる横線や縦線も邪魔なので消します。そして、各月の1日を「系列」として追加で入れています。データと同じく「一筆書きの線」とする訳です。これは面倒な処理ですが、最初に1回やっておけば済みます。このグラフの場合、y軸の最大値は45ですから、例えば2017年6月1日に縦線を入れたい時には、(x,y)の形式で示すと「(2017/6/1,0)から(2017/6/1,45)まで」の線を引きます。座標は2個しかありませんが、これが「一筆書き」の3本目(系列3)です。
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日付(x),縦線のy座標(y) ← x座標が同じだと縦線になる
2017/06/01 , 0
2017/06/01 , 45
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もう1本、7月1日の縦線を入れてみます。「(2017/7/1,0)から(2017/7/1,45)まで」の線です。これが「一筆書き」の4本目(系列4)です。これらの縦線も自動的に色が付いてしまいますが、細い黒の点線にでも変えておくと見やすいかと思います。
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日付(x),縦線のy座標(y) ← x座標が同じだと縦線になる
2017/07/01 , 0
2017/07/01 , 45
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このグラフに横線を入れてみます。例えば「y軸の40の高さ」に、2018年2月1日から2019年1月1日までの横線を入れます。データを(x,y)の形式で示すと「(2018/2/1,40)から(2019/1/1,40)まで」の線です。前記と同様の方法で系列を追加します。これが5本目(系列5)の「一筆書き」です。
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日付(x),横線のy座標(y) ← y座標が同じだと横線になる
2018/02/01 , 40
2019/01/01 , 40
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このように、次々と「系列を増やす」ことでグラフはいくらでも複雑にすることが可能です。y軸のスケールは基本的に左側の主軸ですが、右側に副軸を作ることもできます。最初のイラストで示したように、この「一筆書き」は必要とあれば途中から日付を戻る(線が左側に戻る)ことさえできます。データが(x,y)座標で指定されていれば「一筆書き」はどのようにも描けるからです。これは通常の「折れ線グラフ」では不可能です。グラフには、文字列のコメントや簡単な図形を付け足すこともできます。この稿で示した方法でグラフを作ると、データがどれくらいの時間をかけて変化してきたかが直感的に分かります。「過去から現在までの推移」を視覚的に理解すると、「未来を予測」することも可能です。その場の数字の大小だけで一喜一憂していても仕方がありません。

./image/1567926153_616.pdfPDFファイル


センター長  2019/09/08(Sun) 15:49:12
暦のこと (6) 新暦と旧暦の差
明治33年から明治39年までを調べる限り、旧暦の1年(平年)は 354日または 355日ですが、閏年では閏月(29日または30日)が挿入された分だけ、1年の日数が多くなります。旧暦では「大の月」は30日、「小の月」は29日でした。今だと違和感がありますが旧暦では 2月30日が存在しますし、12月29日が大晦日のこともありました。旧暦の閏年は 2~3年(平均 2.7年)に1度なので、けっこう頻回です。新暦と違って固定されている訳ではなく、専門の役人がこれを決めていました。「大の月」と「小の月」の順番も固定されていません。改暦以前(明治5年まで)、庶民は年末になって翌年の暦が発表されるまで、翌年の予定がたてられなかったようです。暦は単に日付の確認というだけではなく、吉凶にも関連します。行事予定や建築の際の方位決定・運勢など、実生活で重要な役目を果していました。小説「天地明察」で描かれてますが、日蝕や月蝕などの「蝕」は「凶のサイン」だったようです。暦には計算により算出された「蝕の日」が書かれています。これが正確かどうかは大問題だったようです。

明治5年(1872年)12月の改暦により28日分が失われました。明治5年12月3日に相当する日が明治6年 1月1日(新暦)になりました。明治5年12月は旧暦の「大の月」であり晦日は30日。改暦により明治5年の 12月3日から 12月30日までの28日が失われたことになります。ちょうど4週間なのは、曜日を狂わせないためです。これにより、まず新暦と旧暦には4週間という「暦上のズレ(差)」が生じました。このズレ(差)は (1) 旧暦と新暦では 1ヶ月の日数が異なることにより少しずつ変化していきます。旧暦の「大の月」は30日、「小の月」は29日です。新暦では「大の月」は31日、「小の月」は30日(ただし2月は例外)です。この1ヶ月の長さ(日数)の違いが、ズレ(差)の原因の1つ目です。旧暦では大の月と小の月の順番も固定されていませんでした。この他に (2) 旧暦で2~3年(約 2.7年)毎に挿入される閏月のため、別の「ズレ(差)」があります。2つの理由による暦上の「ズレ(差)」は周期的に変化します。旧暦の閏月が挿入される直前で最小(約1ヶ月)となり、閏月の挿入の直後で最大(約1ヶ月半)となります。

新暦(グレゴリオ暦)の1年は 365日です(4年に1度だけ 366日)。一方の旧暦(天保暦)では何月が「大の月」なのか「小の月」なのかは固定されていなかったので、年にもよりますが 1年(平年)は 354日前後です。この時点で、新暦と旧暦では 1年あたり 365-354=11日(新暦の閏年なら 366-354 = 12日)ズレることが分かります。このズレの蓄積は、前記のように旧暦と新暦で 1ヶ月の長さが異なることによります。旧暦の太陰太陽暦では「閏月」があります。月の満ち欠けを 太陽に合わせて調節するために、2~3年(平均すると 2.7年)に1度だけ 1年が12ヶ月ではなく「13ヶ月」になります。追加・挿入される月を「閏月」と言います。閏月は、けっこう頻回ありました。この閏月が「大の月」なら 30日、「小の月」なら 29日分だけ 1年が長くなります。この「閏月のある年」が「旧暦の閏年」です。「新暦(グレゴリオ暦)の閏年」は、閏日(2月29日)が1日長いだけなので 1年=366日です。「旧暦(天保暦)の閏年」では閏月の分だけ 1年が 30日または 29日分も長くなります。もともとの「旧暦の平年」は 1年=354日前後であり新暦より短いのですが、閏年では閏月分が加わるので1年=384日(または383日)にもなってしまい、新暦(365日または366日)より長くなります。旧暦の方式(太陰太陽暦)では、この閏月の挿入によって季節を調節していました。

これらの理由により新暦と旧暦で「暦上の日付の差(ズレ)」は周期的に変わっていきます。単純化すると「旧暦の平年」が続いている間は毎年 約11日縮まっていき、閏年があると一気に延びます。端数を外してさらに単純化すると、1年あたり10日ずつ縮んでいきます。閏月があると30日延びるので、10日縮んだ分と合わせると20日延びます。

例えとして12月1日(新暦)に絞って説明します。旧暦の明治33年は閏年であり「閏8月」が挿入されます。従って明治33年の12月1日(新暦)と、それに対応する10月10日(旧暦)は差(ズレ)が大きくて51日あります。明治34年では12月1日(新暦)と、それに対応する10月21日(旧暦)の差(ズレ)は40日であり、前年より11日短くなります。明治35年では12月1日(新暦)と、それに対応する11月2日(旧暦)の差(ズレ)は29日であり、前年より11日短くなります。ではこのまま差(ズレ)がどんどん縮まっていくかと言うと、そうはなりません。次に示すように「閏月」の存在があるからです。

小林多喜二が生まれた明治36年は旧暦の閏年であり「閏5月」がありました。従って12月1日(新暦)と、それに対応する10月13日(旧暦)の差(ズレ)は48日にもなります。前年(明治35年)よりも19日伸びるのです。多喜二の実際の誕生日(明治36年12月1日)において、新暦と旧暦換算(明治36年10月13日)の暦上の差(ズレ)が大きいのはこのためです。明治37年では12月1日(新暦)と、それに対応する10月24日(旧暦)の差(ズレ)は37日です。前年より11日短くなります。明治38年では12月1日(新暦)と、それに対応する11月5日(旧暦)の差(ズレ)は26日であり、前年より11日短くなります。明治39年は旧暦の閏年です。この年は「閏4月」がありました。従って12月1日(新暦)と、それに対応する10月16日(旧暦)の差(ズレ)は45日であり、前年よりも19日伸びてしまう・・・この繰り返しです。このように新暦と、それに対応する旧暦との間の「暦上の差(ズレ)」は、少しずつ縮んでは 2~3年毎に1度の閏月を越えると、また延びる・・・を繰り返します。この他に、新暦では4年に1度、閏日が挿入されるので、ここでも少しずれます。新暦の2月は28日(平年)と29日(閏年)の2通りですが、旧暦の2月は29日(小の月)と30日(大の月)の2通りです。また西暦1900年(明治33年:新暦)は、例外的に閏日(2月29日)が挿入されません。ですから、そう単純な話ではありません。

暦に関する一連の稿は、下記のURLに書いた内容を凝縮して載せたものです。図はすべて省略しました。暦に興味がある方は、こちらへどうぞ。ここでは小林多喜二の誕生日が間違って伝わっていた謎についても考察しています。誰かが旧暦変換を2回やってしまったのです。私は犯人は父親の末松さんだと推測しています。私の手元にあった曽祖父の除籍謄本が秋田さきがけ新報の記事になった時を境にしてウィキペディアの記載が変わりました。この除籍謄本は2019年2月に小樽文学館に寄贈しました。今も展示されていると思います。

http://www.ne.jp/asahi/tar/cat/index.html

センター長  2019/09/04(Wed) 16:02:28
暦のこと (5) 改暦について
日本が旧暦(天保暦)のままでいれば、世界と調整していくのが大変です。明治の開国にあわせて、慌ただしく改暦になったのはこのためです。また、旧暦(天保暦)のままだと明治6年には閏月(閏6月)がありました。「暦のはなし(光陽出版社)」によると明治4年(1871年)に、役人の給料が月給制に変更されました。本来なら13ヶ月分の給料を払わなければなりません。閏月は明治元年と明治3年にもありましたが、その時はまだ年俸制でした。新政府の財政は逼迫しており、改暦により役人の給料の1ヶ月分が節約されることは重要なことでした。おまけに旧暦(天保暦)の明治5年12月は2日間しかないので給料は払われなかったそうで、さらに1ヶ月分が節約された事になります。改暦の布告は明治5年(1872年)11月9日(旧暦)になって突然に発布されました。すでに10月からは翌年(明治6年)の暦の発売が始まっており、新しい暦が慌てて作り直されるなど、当時の社会は新・旧の暦が入り混じって大混乱となったようです。

旧暦(天保暦)には「12月31日」は存在しません。旧暦では「大の月」は30日まで、「小の月」は29日までと決まっていました。また「大の月」と「小の月」は固定ではありません。今だと異様に感じますが、2月も「29日」とか「30日」がありました。改暦がなければ明治5年の12月は「大の月」であり、大晦日は12月30日のはずでした。改暦にあたって明治5年(旧暦)の 12月3日から 12月30日という4週間分(28日分)が消失しました。だからと言って「新暦→旧暦」換算にあたって、この28日分を引き算すればいいかというと、そう単純ではありません。旧暦と新暦では 1ヶ月の長さ(日数)が異なるため、毎月少しずつずれていきます。また旧暦(太陰太陽暦)では 2~3年(約 2.7年)に1度「閏月」が挿入されるため、1年が13ヶ月になります。旧暦では通常の1年(平年)は 354日前後ですが、閏月を含む年(旧暦の閏年)では1年が 384日前後にもなります。

西暦のユリウス暦からグレゴリオ暦に変わる時、1582年10月5日~10月14日の10日間を削除したと同じように、日付の上で、(旧暦の)明治5年(1872年) 12月3日から 12月30日(4週間分)が削除されたようなものです。4週間なので、曜日は連続性があります。また、新暦で「大の月」と「小の月」の日数や順番が固定されました。旧暦の明治6年には「閏6月」があるはずでした。この「閏6月」は「大の月」であり、晦日は30日です。このように明治5年(1872年)12月(旧暦)の3日目から明治6年(新暦:グレゴリオ暦)に切り替わりました。旧暦(グレゴリオ暦の直前の太陰太陽暦)は天保暦です。本来は元号表記をすべきであり、旧暦を西暦のように4桁表示するのは正しくありません。しかしながら西暦には連続性があり、引き算するとその間の年数が直感的に理解できる利点があります。そのため特に気にせず西暦表記も用いる場合がありますが、注意が必要です。日本で用いられてきた太陰太陽暦には以下のものがあります(ウィキペディアによる)。(括弧の中)は新暦換算、ただし西暦表記は1582年10月04日までが ユリウス暦 で、1582年10月15日以降は グレゴリオ暦 です。

[1] 元嘉暦:略
[2] 儀鳳暦:略
[3] 大衍暦:略
[4] 五紀暦:略
[5] 宣明暦(長慶宣明暦):約823年
貞観4年 1月1日(862年2月3日)~貞享元年12月30日(1685年2月3日)
[6] 貞享暦:約70年間
貞享2年 1月1日(1685年2月4日)~宝暦4年12月30日(1755年2月10日)
[7] 宝暦暦(宝暦甲戌元暦):約43年間
宝暦5年 1月1日(1755年2月11日)~寛政9年12月30日(1798年2月15日)
[8] 寛政暦:約46年間
寛政10年 1月1日(1798年2月16日)~天保14年12月29日(1844年2月17日)
[9] 天保暦(天保壬寅元暦):約29年間
天保15年 1月1日(1844年2月18日)~明治5年12月2日(1872年12月31日)

(備考) 天保15年は12月2日に改元されて、弘化元年となります。
(備考) 冲方丁氏の小説「天地明察」は、貞享暦が作られるまでの物語です。これを原作とした映画が 2012年9月に封切られました。貞享暦を作った渋川春海の他に、和算の関孝和や囲碁の本因坊道策が登場します。水戸光圀も登場します。

センター長  2019/09/03(Tue) 20:39:48
暦のこと (4) 太陰太陽暦
「月の満ち欠け」で計算した12ヶ月(354.367068 日)と実際の1年(365.2422 日)を比べると分かるように、「太陰暦」のままでは約2.7年間で約1か月分(約29.4日)の差が生じます。これは季節が暦と少しずつずれて行くことを意味します。そこで「太陰暦」に補正を加えて「太陰太陽暦」として運用されました。「太陰太陽暦」では、この補正のために 2~3 年に1度だけ「閏月」を挿入して1年を13ヶ月としました。より正確には19年に7回(19年/7回≒2.7年/1回)です。19年に7回の閏月を挿入するというのは「メトン周期の原理」によっています。すなわち太陽暦の19年は、月の満ち欠け(塑望月)の235回に相当するというものです。235回とは、太陰暦では19年+7ヶ月です。この余分な7ヶ月を19年間のどこかに挿入することで辻褄を合わせるのです。閏月は「二十四節気を調整するような場所」に挿入されました。

「暦のはなし(光陽出版社)」によると、二十四節気の設定方法には「平気法」と「定気法」の2つがあります。寛政暦までは平気法が用いられ、その後の天保暦と現在(換算の時)は定気法が用いられます。ごく大雑把に言うと平気法は「地球が太陽を中心として正円軌道で公転する」と仮定することによります。定気法は「地球が太陽の周囲を楕円軌道で公転している」ことによっています。ケプラーの第2法則に従って、地球は「近日点では速く移動」し、「遠日点では遅く移動」します。近日点では季節の変化が速く、日本では冬の変化が速くなります。秋分から春分までは178日20時間、春分から秋分までは186日10時間です。季節の変化は「地球と太陽との距離」で決まるのではなく、「地球が公転軌道のどこに存在するか」で決まります。

閏月をどこに挿入するかを決めるのは置閏法によります。平気法で定めた二十四節気の場合は単純です。二十四節気には節気と中気がありますが、中気を正月(1月)から順に並べると、2~3年に1度だけ「中気の存在しない月」が生じてしまいます。この部分に閏月を挿入し、閏月以外の全てに中気が存在するようにします。天保暦での二十四節気は定気法で決められていました。定気法での置閏法はあまりスマートとは言えません。まず春分を含む月を2月、夏至を含む月を5月、秋分を含む月を8月、冬至を含む月を11月と決めます。中気が含まない月が複数あっても、そのうちどこか1ヶ所に閏月を挿入するというものです。この二十四節気は、昼と夜の長さが等しい春分と秋分・ 昼が最も長い夏至・ 昼が最も短い冬至で4分割されていました。さらに、それぞれの間が6等分されており、地球が太陽の周囲を回る公転の際の「位置」を反映します。従ってそれは「季節」を反映します。農耕民族にとっては、こちらの方が重要です。それなら初めから太陽暦を使えば良さそうなものですが、当時は太陽暦のノウハウが伝わって無かったと思われます。まずは直感的に分かり易い月の満ち欠けを利用(太陰暦)するのが合理的です。

明治5年(1872年)12月2日までは「太陰太陽暦」が用いられました。太陰太陽暦にはいくつか種類があって、最後の太陰太陽暦は天保暦(正式には天保壬寅元暦)です。これは江戸時代の天保15年(=弘化元年)から明治5年12月2日までの29年間用いられました。その翌日からは「グレゴリオ暦(太陽暦)」です。旧暦(天保暦)のままだと明治5年の大晦日は12月30日(大の月)のはずでした。明治5年12月3日から明治5年12月30日までの28日間(4週間)は存在せず、明治5年12月3日に相当する日が、新暦の明治6年 1月1日としてリセットされました。単純な計算で「新暦→旧暦」の計算が出来る訳ではなく、当時は「旧暦と新暦の対照表」がありました。「暦のはなし」によると、その中で最も使われていたのは明治13年(1880年) 12月に内務省地理局が作った「三正綜覧」です。小林セキさん(小林多喜二の母)は、ちょうど改暦があった年(明治6年)に生まれており、誕生日は明治6年8月22日(新暦)です。旧暦に換算すると明治6年「閏6月」30日ということになります。もし改暦が行われなければ、本来の明治6年は(旧暦の)閏年であり、1年が 13ヶ月あるはずでした。「閏6月」というのは、6月と7月の間に挿入された「別の6月」のことです。旧暦だと、この年は1年が13ヶ月あるはずでした。ちなみに小林多喜二が生まれた明治36年も(旧暦に換算すると)閏年でした。セキさんが生まれた年(旧暦で考えた時)には「閏五月」が存在します。このように、閏月に生まれると「現在の感覚で考える誕生日」が2~3年に1度しかありません。そのようなことがあるので旧暦では、元旦に皆が一斉に「歳をとる」システムなのだと考えられます。三正綜覧は長暦です。長暦とは、ある暦法に従って過去に長く遡った暦のことで、言わば「暦の対照表」です。三正綜覧では日本暦(旧暦とグレゴリオ暦)・中国暦・イスラム暦・西暦が記載されています。西暦については、グレゴリオ暦より前のユリウス暦も記されています。私の手元にある初版(明治13年版)では明治36年までが載っています。上巻(乾)が孝元天皇元年(紀元前447年)から天長10年(833年)まで、下巻(坤)が承和元年(834年)から明治36年(1903年)まです。



日本の旧暦は天保暦で、清の旧暦は「時憲暦」です。いずれも太陰太陽暦であり、2~3年に1度の閏月により季節を調節します。清では1645年から1911年まで時憲暦が用いられました。これには初めて定気法が採用されました。日本の旧暦(天保壬寅元暦)は天保15年元旦(1844年2月18日)から採用されました。この天保暦にも定気法が用いられており、もともと中国の時憲暦が下地になっていると思われます。回暦と書かれているのはイスラム圏の「ヒジュラ暦」です。このヒジュラ暦は「純粋太陰暦」です。時々閏月を挿入しますが、これは時間調整のためのようです。季節調節のためには挿入しませんから、暦の示す月日は少しづつ季節とずれていきます。月(moon)を何よりも重要と考えています。1年を通して大きな気候の変化が無ければ生活に影響はないという理由もありそうです。天保暦と時憲暦は同じものと考えて良いようです。従って、三正綜覧において日本の改暦以降の日付を清の時憲暦に置き換えれば「新暦→旧暦」の変換が出来ることになります。逆から見ると「旧暦→新暦」の変換も出来ます。この稿では省略します。

<補足>
現在でも、閏日(2月29日)に生まれた人は誕生日が4年に1度しか来ないことになります。たしか法律的な年齢の決定は「前の日の24:00」だったと思います。例えば2月29日に生まれた人は「2月28日の24:00」に歳をとるのです。「2月28日の24:00」は「2月29日の0:00」と等しいのですが、こうしておくと2月29日が存在しない年でも「2月28日の24:00」は必ず存在します。学年の決定もこのシステムに連動していると思われます。4月1日に生まれた人は「3月31日の24:00」に歳をとります。おそらく法律上は3月生まれという事になるので、4月1日生まれの人が「早生まれ」に含まれるのだと思います。ただし私は法律的な背景を専門的に知っている訳ではありません。


センター長  2019/09/02(Mon) 20:33:49
暦のこと (3) 太陰暦
「太陰暦」は月の満ち欠けで暦を決めるものです。新月を「朔」、満月を「望」と呼び、「朔~朔」または「望~望」の一巡を「一朔望月」と言います。これが月の外観(満ち欠け)の1サイクルであり29.530589 日です。これを単純に12倍すると、太陰暦の暦上の1年は354.367068 日となります。大の月(30日)6回と小の月(29日)6回を組み合わせて 1年(354日)としました。単純に「大小大小大小大小大小大小」と並べると実際の月の満ち欠けに合わなくなるため、月を観察することで補正したと思われます。これを1月~12月~1月~12月・・・と繰り返していくと公転周期とずれていくので、季節がずれていきます。例えば日本でこれを採用したら、8月が真冬になったりします。月の形を何より重視し、季節の変化に拘らない暦といえます。イスラム圏は日常生活には太陽暦を用いるようですが、公式には「太陰暦」である「ヒジュラ暦」を使うそうです。

ヒジュラ暦では1年あたりに 354.367068-354=0.367068日の誤差が生じます。このため約3年に1回、閏日を挿入して1年を355日にしています。ヒジュラ暦における閏年です。より正確に言うと0.367068×30=11.01204 ですから、30年に11回の閏日挿入です。これは太陰太陽暦における季節の調整という意味合いよりも昼と夜の調整と言えます。中東は季節の変化が少ないため、次に示す太陰太陽暦のように季節の調整は必要なかったのでしょう。季節と暦の対応は約33年経ったら元に戻ります。

センター長  2019/09/01(Sun) 10:27:41
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