暦のこと (6) 新暦と旧暦の差
明治33年から明治39年までを調べる限り、旧暦の1年(平年)は 354日または 355日ですが、閏年では閏月(29日または30日)が挿入された分だけ、1年の日数が多くなります。旧暦では「大の月」は30日、「小の月」は29日でした。今だと違和感がありますが旧暦では 2月30日が存在しますし、12月29日が大晦日のこともありました。旧暦の閏年は 2~3年(平均 2.7年)に1度なので、けっこう頻回です。新暦と違って固定されている訳ではなく、専門の役人がこれを決めていました。「大の月」と「小の月」の順番も固定されていません。改暦以前(明治5年まで)、庶民は年末になって翌年の暦が発表されるまで、翌年の予定がたてられなかったようです。暦は単に日付の確認というだけではなく、吉凶にも関連します。行事予定や建築の際の方位決定・運勢など、実生活で重要な役目を果していました。小説「天地明察」で描かれてますが、日蝕や月蝕などの「蝕」は「凶のサイン」だったようです。暦には計算により算出された「蝕の日」が書かれています。これが正確かどうかは大問題だったようです。

明治5年(1872年)12月の改暦により28日分が失われました。明治5年12月3日に相当する日が明治6年 1月1日(新暦)になりました。明治5年12月は旧暦の「大の月」であり晦日は30日。改暦により明治5年の 12月3日から 12月30日までの28日が失われたことになります。ちょうど4週間なのは、曜日を狂わせないためです。これにより、まず新暦と旧暦には4週間という「暦上のズレ(差)」が生じました。このズレ(差)は (1) 旧暦と新暦では 1ヶ月の日数が異なることにより少しずつ変化していきます。旧暦の「大の月」は30日、「小の月」は29日です。新暦では「大の月」は31日、「小の月」は30日(ただし2月は例外)です。この1ヶ月の長さ(日数)の違いが、ズレ(差)の原因の1つ目です。旧暦では大の月と小の月の順番も固定されていませんでした。この他に (2) 旧暦で2~3年(約 2.7年)毎に挿入される閏月のため、別の「ズレ(差)」があります。2つの理由による暦上の「ズレ(差)」は周期的に変化します。旧暦の閏月が挿入される直前で最小(約1ヶ月)となり、閏月の挿入の直後で最大(約1ヶ月半)となります。

新暦(グレゴリオ暦)の1年は 365日です(4年に1度だけ 366日)。一方の旧暦(天保暦)では何月が「大の月」なのか「小の月」なのかは固定されていなかったので、年にもよりますが 1年(平年)は 354日前後です。この時点で、新暦と旧暦では 1年あたり 365-354=11日(新暦の閏年なら 366-354 = 12日)ズレることが分かります。このズレの蓄積は、前記のように旧暦と新暦で 1ヶ月の長さが異なることによります。旧暦の太陰太陽暦では「閏月」があります。月の満ち欠けを 太陽に合わせて調節するために、2~3年(平均すると 2.7年)に1度だけ 1年が12ヶ月ではなく「13ヶ月」になります。追加・挿入される月を「閏月」と言います。閏月は、けっこう頻回ありました。この閏月が「大の月」なら 30日、「小の月」なら 29日分だけ 1年が長くなります。この「閏月のある年」が「旧暦の閏年」です。「新暦(グレゴリオ暦)の閏年」は、閏日(2月29日)が1日長いだけなので 1年=366日です。「旧暦(天保暦)の閏年」では閏月の分だけ 1年が 30日または 29日分も長くなります。もともとの「旧暦の平年」は 1年=354日前後であり新暦より短いのですが、閏年では閏月分が加わるので1年=384日(または383日)にもなってしまい、新暦(365日または366日)より長くなります。旧暦の方式(太陰太陽暦)では、この閏月の挿入によって季節を調節していました。

これらの理由により新暦と旧暦で「暦上の日付の差(ズレ)」は周期的に変わっていきます。単純化すると「旧暦の平年」が続いている間は毎年 約11日縮まっていき、閏年があると一気に延びます。端数を外してさらに単純化すると、1年あたり10日ずつ縮んでいきます。閏月があると30日延びるので、10日縮んだ分と合わせると20日延びます。

例えとして12月1日(新暦)に絞って説明します。旧暦の明治33年は閏年であり「閏8月」が挿入されます。従って明治33年の12月1日(新暦)と、それに対応する10月10日(旧暦)は差(ズレ)が大きくて51日あります。明治34年では12月1日(新暦)と、それに対応する10月21日(旧暦)の差(ズレ)は40日であり、前年より11日短くなります。明治35年では12月1日(新暦)と、それに対応する11月2日(旧暦)の差(ズレ)は29日であり、前年より11日短くなります。ではこのまま差(ズレ)がどんどん縮まっていくかと言うと、そうはなりません。次に示すように「閏月」の存在があるからです。

小林多喜二が生まれた明治36年は旧暦の閏年であり「閏5月」がありました。従って12月1日(新暦)と、それに対応する10月13日(旧暦)の差(ズレ)は48日にもなります。前年(明治35年)よりも19日伸びるのです。多喜二の実際の誕生日(明治36年12月1日)において、新暦と旧暦換算(明治36年10月13日)の暦上の差(ズレ)が大きいのはこのためです。明治37年では12月1日(新暦)と、それに対応する10月24日(旧暦)の差(ズレ)は37日です。前年より11日短くなります。明治38年では12月1日(新暦)と、それに対応する11月5日(旧暦)の差(ズレ)は26日であり、前年より11日短くなります。明治39年は旧暦の閏年です。この年は「閏4月」がありました。従って12月1日(新暦)と、それに対応する10月16日(旧暦)の差(ズレ)は45日であり、前年よりも19日伸びてしまう・・・この繰り返しです。このように新暦と、それに対応する旧暦との間の「暦上の差(ズレ)」は、少しずつ縮んでは 2~3年毎に1度の閏月を越えると、また延びる・・・を繰り返します。この他に、新暦では4年に1度、閏日が挿入されるので、ここでも少しずれます。新暦の2月は28日(平年)と29日(閏年)の2通りですが、旧暦の2月は29日(小の月)と30日(大の月)の2通りです。また西暦1900年(明治33年:新暦)は、例外的に閏日(2月29日)が挿入されません。ですから、そう単純な話ではありません。

暦に関する一連の稿は、下記のURLに書いた内容を凝縮して載せたものです。図はすべて省略しました。暦に興味がある方は、こちらへどうぞ。ここでは小林多喜二の誕生日が間違って伝わっていた謎についても考察しています。誰かが旧暦変換を2回やってしまったのです。私は犯人は父親の末松さんだと推測しています。私の手元にあった曽祖父の除籍謄本が秋田さきがけ新報の記事になった時を境にしてウィキペディアの記載が変わりました。この除籍謄本は2019年2月に小樽文学館に寄贈しました。今も展示されていると思います。

http://www.ne.jp/asahi/tar/cat/index.html

センター長  2019/09/04(Wed) 16:02:28
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